自殺が未遂に終わった時①
以前中学時代のお話を書いた際に自殺に失敗して病院送りになった、と軽く触れました。
気が向いたのでもう少し細かく書いてみます。
多分面白い話ではないですが…
その時自殺しようと思った原因は、祖父からの一言でした。
引きこもりっきりの私に対して祖父が夕飯時に突然
「お前みたいな女反社みたいな奴しか貰ってくれねえよ!普通の人はすぐ捨てるに決まってる!」
と。
この直前は特に何の喧嘩もなく普通に過ごしていて、普通にリビングでご飯を食べようとしたのですが唐突に。
今になって考えれば、その当時の私はろくに学校も行かず自宅に引きこもりっぱなしで情緒不安定でリストカットするわ薬も多量摂取するわネット依存だわで、そんな人が同じ家の中にいると一緒にいる人達も気が狂い始めてくるよなと思います。
実際にそんな女と普通の感覚の人が一緒になりたいかと言われれば答えは間違いなくNOだと思いますし、祖父の言っていたことは間違いではなかったです。
(むしろ反社の人でもそんな女受け入れ切れないんじゃ?と思いますが、多分この時祖父が言った言葉の意味合いとして反社はそこまで重要じゃないですね)
もちろん私のことを心の底から祖父が嫌っていて言った言葉じゃないことも理解しています。
むしろその真逆で祖父母には実の親以上に愛されていたと思いますし、だからこそ言ったことなんでしょう。
ただ、当時の私からするとそんな言葉を言われたところで目が覚めるどころか火に油を注ぐようなもので、
「このまま生きててもそういう未来ならさっさと今死のう!」
となっただけでした。
自分の部屋に戻って溜め込んでいた処方薬を飲めるだけ飲んで、気づいたら90錠弱。
抗不安剤やら睡眠導入剤やらいろんな種類の薬を無心で飲んだので、どれを何錠飲んだとか細かいことは覚えていません。
普段錠剤が苦手で飲むのに四苦八苦する癖に、死のうと決めて飲んでいる時は不思議とするする飲めるんですよね。
さすがにこのくらい飲めば今度こそ死ねるだろう、これで人生終わりか、早かったなー。
なんて飲みながら思っていた気がします。
睡眠導入作用がある薬を多めに飲んでいたのですぐに寝れるだろうと思ってベットに横になったものの、少しして薬の効き目が出始めたころに飲んだ一部の薬の副作用が出始めました。
とにかく手足がむず痒いような気になる副作用です。
これ、かなり苦しいんですよね。
身体中の至る所が気になって常に身体を動かしたり痙攣させたりしないと気が気じゃない感じで。
薬の効果でしっかり眠気はきてるものの、それ以上に全身の感覚が気になって眠いのに全く寝付けない状態。
この時から既に軽い拷問状態。
体感的に1時間近くその感覚と戦って、途中でようやく寝る…というか気絶しました。
祖母曰くこの後突然リビングに戻ってきて寝出したらしいです。
祖母が寝る頃に私に
「部屋に戻って寝たら?」
と言って一度起こしたらしいのですが、起こされた私は何故か部屋じゃなくトイレに向かい…。
(トイレに向かった記憶はなんとなくあるんですが、リビングにいた記憶が全くありません。)
ちなみにこの時祖母は私が薬を飲んだ後だということに気付いていなかったみたいです。
トイレに行ってからが本当にキツくて今でも鮮明に覚えています。
体が全力で薬を拒絶して、とにかく吐かなきゃ!って感じで。
それでも飲んでから割と時間が経過していたので、いくら吐こうとしても何も出てこない。
泡は吹いていたみたいなんですが、もちろんそれで楽になることもなくひたすらに苦しいだけ。
常に嘔吐しようとしてる状態なので呼吸もままならず、薬の作用で死ぬというよりシンプルに窒息死するんじゃないかと思いました。
溺れてるみたいな感覚でした。
どうしようもできない状況に耐えきれず気付いたら大声で叫んでいたんですが、叫ぼうにも意識は朦朧としているので言葉も上手く出てこない。
あー、とかぎゃー、とかそんな意味もない言葉を叫んでたと思います。もう言葉ですらないですね。
私の奇声を聞きつけた祖母がトイレにきて、そこでようやく2度目の気絶。
今度はしっかり意識を飛ばしていたみたいで、その後は動いたりすることもなくいたと思います。
この気絶している間に病院に運ばれ胃洗浄されたらしいですがこの記憶は一切なし。
記憶がなくてよかった…。
医師には、
「薬を飲んでから時間が経っているので、もしかしたらダメかもしれない」
と言われていたみたいです。
この時祖母が、
「ゆりが死ぬかもしれない。」
という内容のメールを私の父に送っていたらしいですが、返事がどう帰ってきたのかは聞いていません。
長くなったので入院中の話は後日に書きます。