死ぬことと生きることと
みなさんがふとした時に思い出すのは、
楽しかった記憶ですか?
嫌な記憶ですか?
「人生山あり谷あり」
なんて言葉の通り、生きていれば楽しいことも嫌なこともありますよね。
他の方がどうなのかはわからないですが、私は毎晩のようにふと思い出すのは嫌な記憶ばかりです。
今までの人生で楽しかったことがないわけじゃないです。
でも、終わりがあまり良くなかったことが多いせいか、楽しかったことすら嫌な思い出として記憶に上書きされているみたいです。
何の為に生きているんだろう?
なんて1人でよく考えますが、本来なら生きる意味なんて存在しなくてもいいんですよね。
誰の為でも、何かの為でもなく
自分の為に生きるのが普通なんですよね?多分。
いつからか自分の為だけに生きるのがよくわからなくなりました。
その場凌ぎのような薄い関係を保つ為にお金を稼いで使ってみたり、誰かとの時間の為に生きている時が1番充実した時間を送っているようで、幸せな気がしていました。
私の為に私が生きるにはあまりにも私は価値のない人間だと思うんです。
最近自殺関連のネットニュース多くなりましたね。
その人達の人生の背景は私にはわからないですが、完遂出来た人は強いなぁと、死に損なってばかりの私は思います。
でもそれと同時に、人が数人亡くなろうと特に大きく世の中が変わるわけでもなく数週間もあれば忘れられていくのが少し寂しいような、悲しいような、何とも言えない気持ちになります。
親族だったりは別なのかもしれないですが…。
今私が死んだら、
一番最初に気付くのはきっと異臭に気付いた隣人になります。
一人暮らしなので下手したら数ヶ月は誰も気付かないのかもしれないです。
今は仕事もしてないですし…
毎日連絡を取るような仲の友人もいないので、ただLINEで繋がっている程度の人はみんな私が死んでも気付かないでしょう。
父も母も絶縁済みですし、知ることもないでしょう。
私の死を知ることができるのはきっと祖父母と少しの親戚くらいだけです。
まあ、そのくらいの方がかえって気楽なんでしょうけどね。
最近自殺しようとした時にふと考えたことでした。
普通に生きることも死ぬこともろくに出来ないダメな人間です。