家の中で過ごした3年間
わがままを言って中学校は近場の学校じゃなく、受験して電車で1時間程の距離のある学校を選びました。
理由は小学校の同級生と同じ学校に行くのが嫌だった、それだけでした。
ブログでは外見について言われたことをメインに書いていたので、いじめられていた部分については深く触れていませんでしたが、そういうことから幼いながらに逃げたいと思って選んだ選択肢でした。
最初の1ヶ月間こそ順調に通ってはいたものの、それでもネットだけが居場所のように感じていた私は学校から帰って来たらネット漬けの毎日。
朝5時に起きないと間に合わないのに気づけば寝る時間はいつも2時〜3時。
睡眠不足のせいもあってなのか食欲がほとんどなくなってご飯もほとんど食べれなくなって、1ヶ月半程経って結果的に学校に行けなくなりました。
小学6年生の頃45kgあった体重も、中学に入ってから気付けば37kgまで落ちていました。
当時ネット上で仲が良かった子はあまり家庭環境が良くなくて、リストカットやOD(オーバードーズ)を繰り返す子でした。
完全にその影響を受けて、なにか現実で嫌な事があると私もリストカットに逃げるようになりました。
不登校になり始めの頃は否定的な言葉ばかり投げかけていた祖父母も、私が自傷をするようになってからはあまり強くは言わなりました。
言わなくなったというか、言えなくなったの方が合ってるのかもしれません。
中学一年の終わりごろくらいから精神科にも行くようになって、この当時言われたのは確かパニック障害と抑鬱。
薬を貰ったのを良いことにネット上で揉めた時も、おじいちゃんとおばあちゃんと喧嘩した時も、嫌な事があるたびにまとめて薬を飲むようになっていました。
最初はビビりながら7錠しか飲んでいなかったのが気付いたら増えて、20錠→30錠→40錠→90錠
90錠飲んだ時は確か中2の時で、飲むきっかけになったのがおじいちゃんに
「お前みたいな女は将来ヤクザだとかそんなまともじゃないような奴としか一緒になれない。普通の人はお前みたいな女すぐ捨てるよ!」
と言われたからでした。
死んでやる、と思って眠りについたのに、体が勝手に動いてトイレで吐き戻そうとして奇声上げながら泡吹いて倒れてたらしくそのまま病院で胃洗浄。
気持ち的にはすごく死にたいと思っていたのに体は死にたくなかったみたいです。
胃洗浄された記憶も全くないまま気付いたら病院のベッドの上でした。
案外丸1日程度で目が覚めてしまいました。
そこから5日間くらい集中治療室?みたいなところに入院させられて退院して。
入院中看護師さんに、
「薬飲んだって死ねないんだから、だめだよ」
なんて言われたことは覚えています。
この日を境に薬は全部捨てられてしまいました。
小学時代に外見を馬鹿にされた反動で中学からは化粧をするようになって、化粧なしじゃどこにも出掛ける事ができなくなりました。
成人した今ではしないようなつけまつげも、ギラギラのラメで涙袋を作るのも、厚塗りのファンデーションもあの頃の私には全部必要不可欠なものでした。
書きながら当時のことを思い起こしてるものの…家からほぼ出ずにいたからかあまり記憶に残っていないみたいで。
なんというか、空っぽに毎日生きていましたね。
当時つけていた日記はリスカした時の血で文を書いたり、なかなか頭の飛んだ物でした。
今も残っているかはわからないですが。
曖昧な記憶を端折ってるから一部分しか書いていませんが、そんなこんなで中学は不登校のまま終わって、高校をどうするかという話に…。